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考え事

現状建物を除却し、新築する場合の文化財調査について (奈良)

「文化財関係届出・申請の流れ」

①遺跡があるとされている地域の区画内であるかどうかを確認。

現状建物は木造2階建てで昭和50年に新築されている。当時は埋蔵文化財に対する行政の考えもまだはっきりとした方針が立てられていなかったらしい。持主曰く、35年前の新築当時に「調査が行われた」ということだったが、確認申請書等の残っている資料では、その事実が掴めなかった。役所で確認してもらったが、役所に保管されている二種類の資料のいずれにも当地が過去に調査されたという証拠が見つからなかった。その資料によると、調査が必要とされるその地域のほぼ90%は未調査。隣の家などは真新しいのに未調査であった。不思議。

②上記①により遺跡内であれば、事前協議に入るための資料を出す。

必要な資料は新築しようとする建物の図面。要求されたのは「基礎伏せ図」

しかし、計画段階で通常「基礎伏せ図」は描かれていないだろう。

地耐力の状況やコストによって基礎形状が決定されるものであるから、地耐力を知るための地盤調査すら出来ない状況では

基礎形状も本来ならばまだ決定できないはずである。しかしながら今回の場合は昭和50年に木造二階建が新築され、沈下等の不具合もなく、建具も問題なく動いている。この現状からして、計画建物は同様の木造2階建てであるから、地耐力には不安はないと判断。さらに、多少コストは上がるがベタ基礎とすれば現状より加重は分散され、有利となるはずだ。そこで、「基礎伏せ図」は持参していない(まだ描いていない)が、持参していた平面図と断面図にベタ基礎形状、排水枡などをその場で描き足した。それらを事前協議資料として受け付けてもらった。この事前協議に2週間かかるという。その結果、現状の変更を許可するかもしれないということになれば、次の段階「現状変更許可申請書」を提出することになる。ここでいきなり、「文化庁は許可しないだろう」という市役所の判断が下せるわけがないと思うので、この事前協議2週間の意味があるのか疑問。

③「現状変更許可申請書」の提出。この書類は中央の文化庁が受け取り判断するという。判断が下されるまでに2ヶ月必要。必要書類は、役所で定められた書類一式と設計図(平面、立面、断面、基礎伏、基礎断面)。ここでの基礎伏せ等の図面は地盤調査以前の想定によるものである。もし申請が降りて、現状建物の除却が完了し、地盤調査を行った結果、想定より地盤が悪く地耐力が確保できない場合は何らかの地盤改良が必要となる。その場合は、申請と異なる地盤となるのでまた申請のやり直しとなるわけだ。そうなるとまた2ヶ月ということになってしまう。これはよくない。除却前に地盤調査やりたいが、地盤調査は厳密に言えば「現状変更」にあたる。やらなければ基礎形状は確定できない。スウェーデン式サウンディング調査ならば、地下に鋼棒を突き刺す程度なので埋蔵文化財の損傷は少ないだろうということで後日、市役所が「現状変更許可申請」の提出前に行っても良いと判断してくれた。

 現場は建物が建っている状態なので機械は持ち込めないことから、手動式の調査方法となる。調査箇所は土間コンクリートがある部分2箇所と和室の畳をめくって行う箇所が一つということで、地元に拠点を持つ3社に見積依頼。A社は対応が早くすぐに結果が出た。B社は手動の道具がないということで断念。C社は現場確認したいとの申し出。その間に、もう一社地元でないD社に見積依頼。結果、金額と対応のよさでD社に決定。ちなみにA社は土間はつり等1ヶ所当たり3万。調査が1ヶ所当たり2万。それら合計3ヶ所。報告書作成費2万。諸経費6万。〆て23万円也。D社は調査箇所5ヶ所で報告書作成込み2.5万。人力代1.5万。土間はつり一式5万で〆て9万円也。ずいぶん違うものだ。

・建物の耐久性について、

現代の建築で100年経っても使える(魅力を失うことなく)ものはあるだろうか。

北京では建築中の高層ビルが祭りの花火で全焼。東京都庁は雨漏りや設備故障頻発。その改修のために、今後5年間に改修設計を完了し、その後、改修工事を5年がかりで実行する計画らしい。その費用は780億円という試算。この金額は都庁の建設費1600億円の50%を切る水準だから高くないそうだ。ほんとうか?改修完了までに10年かかったらまた、新たに改修すべきところが出て・・。

 建築は、極力メンテナンスフリーで100年もって欲しい。まあフリーというのは無理だろうけど。

・日本の特許制度について

 特許を取得しようと思えば、特許庁に提出するかなり面倒な書類を作成しなければならない。そこで、専門家?である弁理士という人に書類作成を依頼するのが普通。しかし、これには当然書類作成費用が掛かる。何とかその費用を捻出して書類を提出できたとする。
 しかし、またもや費用が発生する仕組みになっている。提出だけでは特許取得は出来ない。
期限内にその書類を特許庁に審査してもらうための審査請求をしなければならない。そのときに、請求項目ごとに手数料が発生することになる。弁理士は、最初の書類作成時にその発明に付随する特許が取得できるかもしれない事を多めに審査請求項目として列挙する。最初の書類作成時に、ものによるが、40万。期限が迫ると、弁理士から、審査請求しないのですかと連絡が来る。これが、請求項目ごとに課金されるのでまたもや数十万というお金が必要となる。
 こんな仕組みを作ったのは誰か?もしかしたら大きな利益を獲得するかもしれないアイデアが、審査する手間を省くことを狙った決まり事によって死んでゆく。こんなつまらない仕組みで他国(特に中国)に勝てるわけがありません。
 理想的なのは、自由な書式でどんどん一般人が特許庁へアイデアを投稿し、それらをどんどんプロの目で見分けていく、本当にプロなら、だめなものはチラッと見ただけで分かるはず。そんなものにはだめですという簡単な返答で済ませ、可能性があるものは、きちんと役人、もしくは弁理士が自動的に国際的に不備の無い書類を作成し、特許として登録してしまう。もちろん発案者の権利をちゃんと守り、特許料が発生すれば、それを国が管理して発案者と国が利益を得る。勝手に他国が類似品を生産すれば、国として損害賠償を請求する。こうしないとだめでしょ。

・忌野清志郎のロック

 友人のN君が教えてくれた、僕の知らなかった忌野清志郎。Youtubeの映像でTV番組やコンサートの場面。TVキャプチャー画面のテロップにこう出ている。

 THE TIMERS・・・「ロックとブルースと演歌とジャリタレポップスのユーゴー」をめざす謎の新人バンド。直接的・政治的言葉を武器に他人のコンサートに乱入、演奏をくり広げ、「RCサクセションみたいにチャラチャラした奴らと一緒にされちゃ困る」と嘘ぶく彼らの正体が今夜明らかにー?!

 

ザタイマーズのテーマ、FM東京宗教ロックトカレフロックン仁義高齢化社会

NWSを知りたいあの娘の神様軽薄なジャーナリスト、、日はまた昇るだろう(※注:オリジナルは削除れてしまっていた。久しぶりに清志郎のリンク先を閲覧しようとしたら、なんだか問題らしく、削除されてしまったものが多くてとても残念です。)

ハナレグミ&忌野清志郎 サヨナラCOLOR ←これを見ると他にもいろいろあるけれど、これもいいと思う。竹中直人監督映画のラストシーンハナレグミライブ

続いてこれもいい。高橋真梨子バージョン

関係ないけれど、最近これはいいと思った音楽を載せておく。家入レオ  この人はすばらしい。

ここは音楽のコーナーとしてしまおう。

リコーのCMで流れてる吉田拓郎のカバーで手嶌葵が歌っている「流星」。これも好きだ。オリジナルは当然いい 。

 

年のせいか自ら欲して積極的に音楽を聴くのではなく、知人から教えてもらったりCMなどからこの曲は?と思うことが多い。ゲームのCMからカスケーダ。これのアコースティックバージョンもいい。それから、資生堂インティグレイトのCM曲はCMのためのオリジナルで作曲は橋本和昌で歌はカミーユによる。カミーユのAu Portがいい。それのライブはこれ。 

・湯浅誠氏講演会に行って来た友人のN君(野中浩二)のメモ

先日、10月13日の夜N君と電話で話していたら、12日にN君が湯浅誠氏が講演会で高知へ来のだという。その内容を電話の後に送ってくれた。N君の記憶によるレポートだから多少違いはあるかも知れないが、考えさせられる内容だと思うのでここに載せることにした。

以下、N君のメモ。

 

湯浅誠氏 講演会「派遣村から見えたものと今後の課題」

21年10月12日(月)県民文化ホール グリーンホール

1.自立生活サポートセンターでの事例など

・訴訟となり報道された事例の一つは、スカイラーク店長の前沢氏、過労死。

・shop99店長の清水氏、正規職員は店長の清水氏一人、他の約20名は非正規とパート。店員のシフト表作り、仕入れ・売上げ確認、店員の病休時の穴埋めは、全て店長の責任。最悪の時期には4日で80時間勤務。極度の疲労、うつ病で解雇。4年経ってもダメージから回復し切れない。清水氏の述懐「自分は、燃料のように、使い果たされた・・・」。よく「ゴミの様に捨てられる」と言うが、捨てられてもゴミは形として残る。“使い果たされた燃料”は何も残らない。Shop99という会社は新規採用者の95%が3年で退職。

会社は「それでも困らない。」と豪語。何故なら、最初から人を“人材”ではなく、“取替え可能な燃料”と考えているから。

 

2.日本の貧困、労働をめぐる状況

日本では1965年で貧困調査を国が止めた。その理由は、高度成長期の最中に「最早、日本に貧困という問題は存在しない。」と判断したため。

・しかし、現在OECD加盟の約30国中、日本の相対的貧困率は高位の状況(日本のデータの出典は、厚労省の「国民生活基礎調査」)。

現在の日本の労働形態は?

 

          「正規=勝ち組、非正規=負け組み」という単純な図式ではない

※ 派遣の特徴は、働く場と直接の雇用関係が無いということ。派遣会社と派遣先の企業の関係は商取引。派遣を受け入れる企業から見れば、派遣社員はコピー機のリースのようなもの。

※ 経理上は、人件費ではなく物件費。固定費ではなく流動費。派遣切りは「業績が厳しいのでコピー機2台、6ヶ月リースを、1台、3ヶ月にしよう。」と同じ。

総務省の「就業構造基本調査」では、月間の超過勤務時間に関する質問の選択肢を「60時間以上」から「65時間以上」に改めた。これは、超過勤務が社会全体で恒常化している現れの一つ。

・またOECDの国際比較では、日本は相対的貧困世帯中、働いている人のいる世帯が占める比率が高い。特に世帯員二人が働いているが、相対的貧困世帯に属する世帯が多い。

 

 

3.自己責任論とその背景

・日本には、労働・貧困に関する二つの神話があると思う。

「探せば仕事は有る筈。」「働けば食べられる筈。」

・次のような事例を巡り、TVメディアでいわゆる“新自由主義者=自己責任論者” (奥谷禮子氏、金美齢氏など)と討論。

Canon宇都宮工場での数百名の派遣切り

日野自動車が株主配当を続けながら、つまり収益を上げながら、派遣を切る。しかも、「派遣職員を正規職員に登用する試験をします」と派遣職員にアナウンスしながら、切る時には「あれは無かった話にしてね。」で終わり。

自己責任論者の主張は、喩えれば“失業者は、自己責任違反の推定有罪”論。

「病気になった、事故にあった」という不可抗力の立証責任は失業者にある。

その立証が出来ない失業者は、”ちゃんとやっていない、自分のせい“で切られた人。この人たちの失業は社会的問題で

なく、個人の責任。

・ところが、規制緩和だけを唱えていた経済財政諮問会議ですら、「相対的貧困ラインを下回る子どもの、全子ども数に占め

   る割合」の国際比較を問題にせざるを得ない状況に。

では、自己責任論は変わったか?→変わってない。貧困の原因を“上流へ、上流へ”と辿り、「やはり貧困や失業、 は、自己責任の問題。」と主張。

最初は「ちゃんとやれば切られない。切られたのは、ちゃんとしなかった貴方のせい。」

次は、「派遣で雇われた時から、切られるのは判っていた筈。切られたのは、派遣を選んだ貴方のせい。」この論法で行

けば、次は、「派遣でしか雇ってもらえないのは、ちゃんと勉強しなかった貴方のせい。勉強しなかった貴方が悪い。」

・大学進学率と親の年収には、見事な正の相関関係あり。いわゆる一流大学進学者の殆どは、経済的に恵まれた世帯の子ども

    たち(湯浅氏も含めて)。教育機会が世帯の経済力に大きく規定されているが、これも自己責任?→自己責任論者の主

  張、「貧乏な家に生まれた貴方が悪い。」まで行き着いてしまう。貧困は自己責任だけの問題ではなく、社会の

    問題”との声を上げ続けることが重要。

 

4.貧困の実態を社会的に見え難くしているもの

・現状は、家族という私的なセーフティネットが、何とか貧困の爆発を防いでいる。「家族だから自分たちで何とかしよう。」と年金収入の親が、子ども世代を支えるという構図。

支えられているのは、フリーター第一世代と言われる40歳位の人達。その親が高齢化し医療費・介護費が増す、年金財政が厳しくなると、どうなるか?

・家庭で支えられるギリギリまで抱え込んで、見えなかった家族の貧困が一気に爆発する事を懸念。その時には、派遣を切られて地方に帰った世代が、地方ではどうしようもなくなって、再び都市に移動するかも。

 

5.貧困についての意識

・年越し派遣村や自立生活支援センターで相談を受けていて、「何故、ここまで個人や家庭で抱え込まないといけないの?もっと早く公的機関に相談すれば良かったのでは?」というケースが多かった。

・最後のセーフティネットである生活保護について、「あんなものは死んでも受けたくない。」「生活保護を受けるのは汚名。Stigma」という根強い意識がある(濫給ケースがあることは別の問題)。これは克服されるべき偏見。

・相談に行きたいが貧困、失業の相談”という看板では行きにくいという意識がある。活動の経験から“よろず相談”と銘打った方が良いかなと感じたこともある。

貧困に陥った人自身が、貧困を自己責任化する、つまり内面化する経路は、どのようなものか?と考えると・・・

3に挙げた二つの神話を、その人達も信じているからではないか。

職を切られるまでは自分で食べられていた自分と、職を失った今の自分を比べて、「昨日まではチャンとしていたから自分で生活できていた。今、そう出来てないのは自分のせいだ。」と自分を責めてしまう。

・東京で感じる象徴的な出来事

山手線が、よく止まる。その時、「また自殺か・・・」と感じる人がいると思う。

失業→貧困という問題からの回路が、外部・社会ではなく、内面・個人にのみ向かっているのではないか?

昔は、電車が止まる原因は、労働環境を巡るストライキ。今は、労働環境の悪化による失業・貧困を内面化した末の自殺。

 

6.貧困の背景-国際比較

・世代ごとの収入額を見ると、40~50代が一番高い山型カーブとなる。これは国際的に同じ。日本の特徴は、世代ごとの支出額カーブの山が高いこと。その理由は、子どもの数が増えるに連れて、教育費、住宅費、保育費、医療費等の負担が大きく増える。喩えて言えば、ヨーロッパでは子ども数が一人から二人になっても、これらの負担は二倍にならないが、日本では二倍近くになる状況がある。

・支出水準が変わらないまま、山型だった収入カーブがフラット化し、40~50代の収入が減っている。その結果が貧困世帯の拡大。

・新自由主義者=自己責任論者は、“ドイツは無料だった大学教育を、やっと有料化した。日本の方が正しい。”と言うが、授業料水準が桁違い。ドイツの大学授業料は年間5万円。議論の際には“有料化した”というだけでなく、水準の違いを示すべき。

・今の雇用環境の厳しさを示すエピソード

山形市の求人票を見ると、月給を円単位まで示し、「昇給・ボーナス無し。」と明記。円単位になるのは、最低賃金×時間で計算しているため。

最低賃金は僅かとは言え、改定されて上がる。「昇給・ボーナス無し。」を貫くと、新入社員の給料が一番高いことになってしまう。

 

7.経済界の主張「労働者を切る自由をくれ、社会的負担は嫌だ」は、経済界自身にとって得か?

・この主張は、労働市場の質の劣化を招くもの。社会の持続可能性という点から言って得ではない。また、「人を減らして技術革新で生産性を上げる。」と言っても、革新された技術を使える人が多くいないと、経済全体は持たない筈。

・労働法制では、「非正規雇用の方が、正規雇用より解雇し易い。」とはなっていない。実態としては、労働法制違反の非正規雇用解雇が多い。

・本来、期限付き雇用は、「仕事自体が季節的(例.スキー場や海水浴場の管理)なので、雇用も期限付きです」という例外であるべき。

期限付き雇用の規制を、新政権でよく検討して欲しい。厚労省の審議会では、既に規制が骨抜きになりかかっている。雇用保険と有期雇用の期間の整合性確保など。

 

8.自治体の福祉サービスについて

・自分が日頃、活動している東京都の主張は、次のようなもの。

「派遣切り対策を自治体が幾らやってもキリがない。受け入れ枠を100人分構えると100人以上来る。500人分構えるとそれ以上来る。千人分構えると、もっと来る。」

「地方出身の失業者に、都の福祉サービスは与えられない。都民になってから一定の期間が経っていることが受給の要件」。

・地方出身者が東京に沢山いるのは、国策としての雇用流動化の結果。大企業が地元採用した安価な労働力を、全国規模で動かせるようにした結果。

・全ての自治体が、「福祉は自治体のサービス。そんな国策の事は関知しない。」と言うとどうなるか?自治体が、それぞれに“フリーライダー”排除を叫んでも問題は解決しない。分断よりも連帯、統合を。

 

9.今後の課題

・経済財政諮問会議の象徴、竹中平蔵氏は「非正規雇用を増やしたから、失業がこの程度で済んだ。有難いでしょう。」と言

 っている。このような論者との綱引きは続く。

 自分たちも声を出し続けて、見えない貧困の実態を可視化していくことが必要。

学ぶべき経験の一つとして、フランスの「初期雇用契約」制度の導入と撤廃。これは、雇用を増やす代わりに、1~2年の試用期間を設け、自由な解雇を使用者に認めたもの。

・「食べられる非正規と、食べられない失業のどちらが良いですか?仕事が無いより非正規でも働ける方がましでしょう?」というのが日本の実態。しかし、これではdecent work(尊厳のある労働)という理念は、何時までも実現できない。

フランスでは、“確かに職に困っているが、私たちは自分の労働力は安売りしない。”というスローガンを掲げた。今の日本でこんなことを言うと、残念ながら袋叩きに会うだけ。しかし、このような国もあった事は知って欲しいと思う。

・貧困感の転換、OECDが使っている“相対的貧困”のイメージを多くの方に知ってもらうことが必要。今、国際的に問われているのは、アフリカの飢餓のような絶対的貧困(=生き死にの問題)とは違う。「アフリカの子どもたちを見なさい。日本はまだまだ大丈夫。文句を言わずに自己責任で頑張りなさい。」では、日本の実態が見えなくなる。

・日本の実態は、年間収入の中央値の半分以下世帯(=OECDの相対的貧困の定義)が多いということ(日本の場合、中央値は448万円。その1/2は224万円)。

具体的イメージで言うと、“3人世帯で月収20万円。生活に追いまくられて、何とか生活しているが、何かトラブル(=働いている両親の一方の事故や病気など)が有れば終わりだろうな”という状態。或いは“何とか食べられるが、子どもに多くの選択肢を構えられないな”と諦めている状態。

・今の日本では、社会のセーフティネットが十分に働いていないこの中で、人生80年を過ごすことを考えると、何かトラブルに見舞われたら、その時点で滑り台の底まで落ちて這い上がれないこととなってしまう。

親の世代が現在と将来に希望を持てないのに、子どもたちに「夢を持て。諦めずに頑張れ。」というのはいかがなものか?子どもは、親の状態に敏感。「この大人たちとは、話したくない。」となってしまう。全ての子どもには、夢を見る権利があるが、夢を見る条件を整えるのは大人の責任。「可哀想だが仕方ない。そこまでは公的に関われない。貧しい家に生まれた子どもには、諦めてもらいましょう。」では、社会に問題があるという事実自体が消えてしまう。

・経済成長率だけでなく、貧困率を目標に据えるべき。国民が政府を評価する二つの軸ができる。「成長率を達成できたので良くやった。」という評価だけではなく、「成長したが貧困が増加したので×」「この低成長率の中、貧困を減らしたので○」という評価ができるようになる。

・ブレア政権下のイギリスでは、「子どもの貧困撲滅宣言」をし、明確な目標に向けて、教育、住宅、保育、医療等の複数施策相互の連関を国民に見えやすくした。日本でも、貧困率の低下という目標を、国の健全性を示す指標として掲げ、その実現に向けた施策の統合を進めるべき。

 

以上。